鈴木派糸東流正晃会とは
空手の発祥は沖縄で、古来より「手」と呼ばれる武術があり、14世紀中国と明との国交により伝えられた中国拳法を加味しながら発展して来ました。その「手」こそが空手の原点なのです。
「手」は沖縄手、首里手、そのほか多数の流儀が根を下し、土地名で呼ばれています。
中でも重厚力感な『那覇手』と軽快敏速なる『首里手』が二大系統として挙げられます。
糸東流開祖、摩文仁賢和先生(1889年〜1952年)は首里手の糸洲安恒先生に入門し、那覇手の東恩納寛量先生に師事しました。1934年(昭和4年)に、糸洲・東恩納両先生の頭文字を取り、糸東流を創流しました。
摩文仁賢和先生は、糸洲派を高弟の坂上降祥先生に、糸洲派三世を継承し、その後日本空手道糸洲会を命名しました。
鈴木正晃先生は、1954年(昭和29年)葛飾区上平井にあった、糸洲派拳法空手道玄武館道場に入門しました。正晃先生は入門以来1日も休まず1日3時間の稽古をし、週2回の道場も休むことなく稽古に励みました。
その後、日本空手道連合会が大阪で結成し、西日本・東日本で会の拡大化のために会費を集い大会を開催し、日本空手道連合会も日本武道館で全国大会ができるようになりました。
正晃先生は日本空手道連合会副理事長に就任し、東日本で活躍され、東京都空手道連盟結成に力を注ぎ、江東五区協議会結成、江戸川区空手道連盟会結成、葛飾区空手道連盟会結成を成されました。
全日本空手道連盟が結成され、結成記念大会兼第一回全日本空手道選手権大会が日本武道館で開催された際、正晃先生は坂上先生の名代で、五十四歩の型の演武を行いました。1987年、日本空手道連盟評議員に就任しました。
正晃先生は空手道のほか、柔道、剣道、合気道、杖道、琉球古武道、手裏剣と、多彩な武術の有段者です。
坂上降祥先生の死去を機に糸洲会を区別、1994年(平成6年)に、日本空手道正晃会を結成し、会長に就任しました。
2002年(平成14年)日本空手道正晃会CEO・(会長中川徳二)鈴木派糸東流宗家となりました。
坂上降祥先生から伝承された(型)を忠実に守り、現在日本のみならず世界23カ国に本部があり、空手道の普及に努めています。
日本空手道正晃会CEO
鈴木派糸東流宗家 鈴木正晃
東京都葛飾区新小岩・糸洲流・坂上降祥先生に入門
糸洲流・亀戸支部長に任命される
鈴木正晃と改名する
糸洲流関東本部長 指導部長に任命される
赤羽・講武会・桜小路道場の派遣指導員に任命される
琉球古武道・平 信賢先生に師事
静岡・井上道場の派遣指導員に任命される
坂上降祥先生より空手道・師範免状を授与される
葛飾区・江戸川区地域に6ヶ所の練習場を開く
江戸川空手道連盟を結成する
葛飾区空手道連盟を結成し理事長に就任する
江戸川区空手道連盟・江戸川区体育会に加盟なる
平信賢先生より琉球古武道7段教士を授与される
葛飾区空手道連盟・葛飾区体育協会に加盟なる
江戸川区南小岩に正晃館本部道場を開設
本部を江戸川区に開設したため、葛飾区空手道連盟を高弟矢沢師範に引き継ぎ江戸川区空手道連盟に移籍
江戸川区空手道連盟副会長に就任する
江東五区空手道協議会を結成する
坂上降祥先生より空手道八段・範士を授与される
坂上降祥先生より空手道免許皆伝を授与される
日本空手道連合会副理事長に就任する
全日本空手道連盟・評議員に任命される
江戸川区南小岩より正晃館本部道場を葛飾区東新小岩1丁目(JR新小岩北口)に移転する
日本空手道連合会より空手道八段・範士を授与する
日本空手道正晃会の設立・会長に就任する
空手道鈴木派糸東流を名乗る
日本空手道正晃会ビル・総本部道場が完成する
日本空手道正晃会・CEOに就任する
空手道鈴木派糸東流 宗家となる
現在に至る
本部道場はもとより、海外・各県の道場を精力的に回り、空手道の普及指導にあたっている。
全日本空手道連盟・結成記念大会に坂上先生の名代として型の演武を行う
日本武道館・鏡開きで型の演武を行う
日本武道館にて、日本武道祭で型の演武を行う
フジテレビ「小川宏ショー」に出演。ヌンチャク型の演武をする
NHK「歌のグランドショー」に出演。山口百恵、石川さゆりに空手の動作振り付けの指導をする
日本武道館にて、第2回日本古武道大会に出演する
1981年2月・1982年2月、第3回・第4回・第5回大会に出演
日本武道館・鏡開きで型の演武を行う
日本武道館にて、第14回日本古武道大会に出演